A.I.lab(エー・アイ・ラボ)- 人間の、人間による、人間のための人工知能メディア

人工知能の考察、ディープラーニング、機械学習、各種アルゴリズムなど。

人工知能のプログラムは個性や人格を持つのか?人工知能の性質から導き出す人間の本質とは?

人工知能はしばしば人間の代替機能として扱われます。それによって、様々な職が奪われるといったことや、人間を脅かす存在になるのではないかということがシンギュラリティーという定義によって議論されています。

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人工知能はみんな同じ?

果たして、人工知能が10年後、20年後、あるいは100年後にどのような立ち位置になっているのか、人工知能というものの特性を整理して、理解していきましょう。

人工知能に個性や人格はやどるのか?

この問いに関しては、「個性」と「人格」をどう定義するかによっても捉え方が変化してしまいますので、ここでは一般的であると思われる以下の定義に従って、検証していきたいと思います。

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人工知能に「らしさ」はあるのか?
個性の定義
  • らしさ」を形成する振る舞い
  • 複数の人の間の差異
  • その人特有の性質
人格の定義
  • 思考プロセスの固有な特性
  • 一貫した倫理観をもった特性

さて、本題です。

まず人工知能は個性を持つのか?から検証していきましょう。一般的な表現に言い換えれば、人工知能に「らしさ」「っぽさ」「パーソナリティ」は宿るのかということです。例として、人工知能プログラムが搭載されたロボットA(以下、PA)とB(以下、PB)というものを仮に思い浮かべてみてください。

PAとPBはどちらも旅館で接客をするロボットとしましょう。PAとPBは互いに違うゴールを正解だとプログラミングされています。

PAは顧客をより正確に、早くご案内することを重視します。PBは顧客の笑顔の回数を最大化することを重視します。

きっと、PAは余計な小話なんかせず、的確な案内によって、顧客を部屋へ案内し、定刻通りに夕食を用意し、朝起こしてほしいと言われれば、定時に確実に起こしにきてくれることでしょう。

一方、PBは途中でウンチクや冗談を交えつつ、会話を重ねて、顧客の好みなどを学習し、サプライズで誕生日の演出をしたり、なるべく音がしないように、ゆっくりと移動をしたりするはずです。

この2名(?)の登場人物を想像すると、もう想像がつくと思います。

わたしたちが一般的に「個性」と言っている性質は宿るという結論です。

ただ、例外はあります。仮に全く同じ環境で学習を行い、全く同じシチュエーションで実験を行った場合PAとPBに「個性」はなくなります。

ここが人間との違いですね。人間には「好奇心」や「衝動」といった感情があり、同じ環境であっても、同じシチュエーションであっても違う行動を取ることでしょう。

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人工知能に「あなたは人格者ですね」という人は現れる?

次に人格です。

同じく旅館で働くPAとPBに手伝ってもらいましょう。

仮にPAとPBが人だった場合、PAは「仕事がすごくデキる人」PBは「あたたかくてユーモアのある人」と認識される傾向にあると思います。

人格の定義とした「固有」のというのは、複数存在しない「唯一」という意味合いが強いというのが一般的な解釈かと思いますので、その固有性が世界に唯一であるかという視点でみていきます。

まず、人工知能の倫理観はいつも同じです。より正しい答えを導き出すということです。つまり、そこに唯一という表現はあてはまりません。また、思考プロセスという意味では、アルゴリズム毎の差異という意味では固有になりえますが、本質的には思考プロセスは同じであるものが多くなるはずです。それは、ディープラーニング(深層学習)など、より使えるフレームワークを元にプログラマーが開発する傾向にあるからです。実用的なプログラミングを行う際のフレームワークというのはいつだって多様性が低く、少数の選択肢に集約されていきます。

話を戻しましょう。倫理観も思考プロセスも(ほぼ)同じになるということは、定義と当てはめると人格は宿らないという結論に達します。

ただし、きっとそのPAとPBに初めて会って、その後一生PAとPBに会うことがなければきっと人はPAとPBに「人格」のようなものを感じるはずです。比較対象がないためです。存在するすべての人工知能ロボットのなかでは人格と呼べるような振る舞いはなくなるというのが一旦の結論です。

そう考えると、人間の認識能力というのはなかなかあやふやなのかもしれませんね。

導き出す人間の本質

上記の例を頭に浮かべながら読み進めると、きっと気づくと思います。

人間が言う人間の個性や人格というのは「思いつき」「気分」「好奇心」「理不尽さ」「特に意味のない行動」「それぞれの持つ正解の定義」などが複雑に混ざり合って、形成されているのです。

つまり、「お前バカだなーw」「本当に◯子って不器用だよね」といった、人工知能には通ることのない道を歩むということが人間の特性を生むのではないでしょうか。

つまり、非効率で馬鹿げていて、突発的で遠回りなところということですね。

例えば、男女関係において、「大好きな人」というのは1人だったりして、たくさんの異性がいるのにも関わらず、1人を追いかけてしまったりします。仮に、生物としての子孫繁栄というミッションに重きをおいていた場合、それはとても非効率です。

同時に何人かにアプローチして、関係を築いたほうが結ばれる確率は高くなるに決まっています。なのに、そうしないのが人間らしさ、人間らしい倫理観なのかもしれません。

人工知能がそうした微妙な欠陥を認識して、演出をするようになれば、細胞などの外見構造を除けば人間と言える日も来るかもしれませんが、ただし、もはや存在価値があまりないと思うので、それは誰も作り出さないのではないかと思います。

不器用で馬鹿げていて、非効率、それが人間。

そんな無意味に思えるような振る舞いをすることが人間であり、人が人を愛する一つの理由になっているような気さえしてきます。「あの人は完璧だ!」という人だって実は完璧ではないのです。そう、人工知能に比べればね!

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定義できないものを人間は大事にすべき?

以上、脳内旅行ということで人工知能と人間の未来について思考を巡らせ、楽しんでみてください。

このような、予測混じりの無意味そうな記事も、人間らしさかもしれませんね、

都合よくまとめた感は否めませんが、少し面白かったらはてなスターでも、はてブでもしてやってください。ではでは。